鶴山淳志
つるやま あつし
Tsuruyama Atsushi

1981年8月31日生れ
A型
熊本県出身
趙治勲九段門下。1999年入段。1999年二段。2000年三段。2001年8月四段。2003年4月五段。2005年4月1日六段(賞金ランクで昇段)。2010年8月27日七段(勝ち数=120勝昇段)。
棋風:
揮毫:楽
2006年8月(第11回)三星火災杯国際予選突破(25歳)
2005年8月(第10回)三星火災杯本戦国際予選突破(24歳)
2001年1月1日以降国際棋戦成績=1勝1敗(対韓国:1勝1敗、対中国:0勝0敗、対他:0勝0敗)
対局日棋戦名勝敗対戦相手
2005.09.30三星火災杯第2回戦金明完七段(韓国)
2005.09.28三星火災杯第1回戦内廼偉九段(韓国)
日本棋院の情報 新浪体育 写真(25歳) 読売新聞(熊本版)2006年11月10日の記事
【「碁ワールド」2007年7月号】
鶴山淳志六段が、5月5日、出身地の熊本県「熊本ホテルキャッスル」で華燭の典を挙げた。お相手は坂口明香(めいか)さん。小学2、3年のころから通っていた栗原俊昭さん(故人)の囲碁教室時代からの幼なじみ。本格的に交際を始めたのは2年ほど前。明香さんが今春、熊本大学大学院を卒業したのを機にゴールインした。明香さんの弟はアマ全国大会で優勝したことのある坂口仁寿さん。


【2006年2月22日読売新聞・熊本版】
「家族に共通の趣味があるおかげで、我が家には親子の断絶がないんですよ」。熊本市琴平2、高校教諭鶴山繁實さん(55)一家には笑顔が絶えない。共通の趣味は囲碁。2月22、23日の第30期棋聖戦熊本対局で使われるカヤ製の碁盤は、碁が“かすがい”になっている家庭で、対局の時を静かに待っている。
繁實さんは、プロ棋士鶴山淳志六段(24)の父親でもある。鶴山六段は、幼稚園のころに、繁實さんの手ほどきで碁を覚えた。1993年3月、趙治勲十段が全国の少年少女を巡回指導した「囲碁全国行脚」で素質を見込まれ、11歳から千葉市の趙十段の元に住み込み、内弟子としてプロ修業を積んだ。碁盤は、17歳で初段を取得してプロになった際、「託麻囲碁クラブ」(熊本市)で師事した栗原俊昭氏(故人)から贈られたもの。碁盤が大舞台に出るのは1999年の第24期名人戦と、2001年の第27期天元戦に続き3度目という。繁實さんは「息子が戻った時に練習するほかは、もったいなくて使っていません」と秘蔵ぶりを話す。
鶴山六段の妹で高校1年の亜弓さん(16)も実力者だ。昨年11月の全九州高校囲碁選手権大会の女子個人戦で優勝。熊本対局の歓迎前夜祭では、羽根直樹棋聖(29)に花束を渡す役も務める。「囲碁は勝ち負けも楽しいけど、いくら考えても答えが出ないところも魅力の一つ」。母親の久美子さん(55)は「親子で囲碁談議に花をさかせることがあります。父親と娘、わたしと息子で組んで対局する『ペア碁』は家族のふれ合いの一つ。プロがいる方が勝ちますが……」と笑う。鶴山六段は、熊本対局の会場で指導碁を行う予定という。「碁盤が棋聖戦で使われるのはうれしい。素晴らしい碁盤をいただいたのだと、栗原先生に改めて感謝しています。自分も将来、タイトル戦を熊本で打てるよう頑張りたい」と語った。

【「囲碁講座」2002年5月号(内藤由起子)】
幼稚園のとき、4、5段のお父さんに「碁を教えて」といって始めた。どこかいい碁会所はないかとお父さんが電話帳で探して偶然訪れたのが栗原俊昭さんの囲碁クラブ。栗原さんは子供の普及に力を入れていて、常時数十人の子供が通ってきていた。
1993年、鶴山淳志四段が小学5年の春休み、熊本に来た趙治勲九段と試験碁を打ち、「プロを目指さないか」といわれたのがきっかけで、趙治勲九段の内弟子になった。プロになるという夢が突然、現実味を帯びた瞬間だった。「行きたい」と自分から両親にお願いした。反対は全くなかった。「掃除や洗濯を自分でやらなくてはならないので内弟子は大変でした。でも仲間が沢山いてワイワイと楽しかったです。趙先生は普段は面白いのですが、勉強のときは厳しい。昔はよく怒られたので、碁を見てもらうのが怖かったです」。悪い手でも、いい間違いと打ってはいけない間違いがあるのだという。行くべきところに手が行かないと厳しく言われる。
2001年、40勝14敗で勝ち星ランキング(四段以下)第1位となった。今風の髪形、アイドル歌手のような顔立ち、ニコニコはきはき話す様子は、口が重い棋士のイメージとはかけ離れている。