大淵盛人
おおぶち もりと
Obuchi Morito

1965年8月10日生れ

福岡県出身
日本棋院所属。大枝雄介九段門下。1983年入段、1983年二段、1984年三段、1985年四段、1987年五段、1988年六段、1991年七段。1995年八段。1997年九段。2007年通算400勝達成。
東京本院で内弟子を取る棋士。
門下:奥田あや三段、内田修平七段、堀本満成二段、田尻悠人二段、竹内康祐初段、大淵浩太郎二段(実子)。
棋風:
揮毫:

日本棋院の情報 読売新聞「岡目八目」 羽ばたけ大淵一門
写真
【「NHK囲碁講座」(2014年8月号)(大淵盛人)】
内弟子6人をプロの世界へ送り込んだ大淵盛人(おおぶち・もりと)九段は、自身もプロを目指し、大枝雄介(おおえだ・ゆうすけ)九段(故人)の内弟子として修行を積んだ。その内弟子生活は非常に厳しいものだったという。
私が碁と出会ったのは中学校1年のときですから、プロ棋士になる人間としては、かなり遅いスタートでした。父に教わり、のめり込んでいったのですが、今になって振り返ってみると、私は指導者に恵まれていましたね。あらかじめレールが引かれていたのではないかと思うくらいに人とのご縁をいただきまして、次々とすばらしい指導者と巡り合ったのです。
私は福岡県の出身なのですが、久留米市の出でおられる山下順源先生(故人=七段。山田規三生九段や石田篤司九段らの師でもある)とのご縁にも恵まれ、私の師匠となる大枝雄介九段(故人)を紹介していただきました。
それで中学校卒業と同時に、プロを目指して東京へと出てくることになり、大枝先生の内弟子となりました。一人で見知らぬ土地へと出ていくことに関しての不安はなく、楽しみしかなかったように覚えています。当時の大枝家にはすでに大勢の内弟子がいて、一番弟子の安田泰敏さんを筆頭にマイケル・レドモンドさん、下地玄昭さん、恩田烈彦さん、益子富美彦さんといった面々でした。
そしてこの内弟子生活ですが、10代の男が集団で生活するわけですからね、すさまじいものがありました。イジメのようなものも当然ながらありまして、東京に出てきたことを激しく後悔したこともありました。しかしプロ棋士になることを目指して上京してきたからには、プロの資格を得なければどうしようもありません。ですから私としては、ひたすら碁だけに専念する毎日を送るようにしました。本当に大変な内弟子生活でしたが、尋常でない忍耐力がついたことは間違いありません。
そんな中で恩田烈彦さん。この方は実に真面目で優しい人で、掃除の方法や食器の洗い方をはじめ、内弟子生活において必要ないろいろなことを教えてくださいました。例えば鍋の洗い方でも「こういう磨き方をすると、碁が強くなるよ」とか…。まあ、何の根拠もないのですが、そうしたことを一つ一つ積み重ねることによって、碁の技術以外で大事な何かを身に付けることができたように思います。
具体的に言えば、自分自身を厳しく律しないことには、プロ棋士になるという目標を達成することなどできないということでしょうか。何の科学的根拠もなく、昔ながらの修業方法ではありますが、目標にいち早くたどりつく手段だったのではないでしょうか。後に私が内弟子をとったとき、この経験が大きな財産・指針となってきます。
そして私は院生2年目という早い時期に入段することができたのですが、やはり厳しい内弟子生活の中で碁漬けの毎日を送ったということが大きかったのでしょう。何はともあれ、プロ入り後の6年間とを合わせて計8年間住まわせていただいた大枝先生には感謝しています。

【「NHK囲碁講座」(2006年11月号)(大淵盛人)】
現在、わが家には弟子が7人と自分の子供5人(うち、一人は内弟子として扱っています)がいます。囲碁を通して社会貢献したいと以前から思っていましたので、結婚するときから「内弟子を取りたい」と妻に言っていました。
内弟子に入れる条件としては、小学校6年生までで、小学校4年生がベストです。少年少女大会で活躍するくらいの棋力が必要です。何より大切なのは、本人が「碁しかない」と思うかどうかということ。
自分の対局中に弟子のことで頭がいっぱいになることもあります。人にあれこれ言う前に、自分がよくしないといけませんから。子供はすぐ真似をします。私もすっかり遊ばなくなりました。お酒もほとんど飲まなくなったし。
その分、自分のことをじっくり考えるようになって、何のために生きているのかとか、どういう生き方がいいのかとか。そして碁が好きになりました。周りからも「変わったね」って言われます。弟子たちは僕が遊んでいた時期を知りませんが、他の棋士が「大淵くん、真面目になったな」といっているのを、聞いているようです。

【2006年4月10日 朝日新聞「棋士快声」(伊藤衆生)】
内弟子3人が4月1日付で正式にプロデビューした。今年度の日本棋院東京本院の採用枠を門下が独占。「正直ホッとしました」。自然豊かな神奈川県の相模湖近くに移り住み、2000年の夏から内弟子を取り始めた。現在小中学生を含む7人が寝食を共にする。内弟子制度自体が消え去りそうな日本碁界にあって、「日本を背負って立つ若手を育てたい」と迷いがない。
内弟子制度の良さを、「親元を離れて甘えがきかず、通いの弟子とは精神面で強さが違う。大勢で暮らすことでライバル意識が芽生え、上達も早い」と語る。15歳で九州から上京し、大枝雄介九段の内弟子となった自身の経験も、大きく影響している。
大淵門下の内弟子は5時に起床。朝食前から碁の勉強だ。掃除、食事など家事もこなす。プロになるまでは親元に帰ることも電話することも禁止。覚悟のある子しか弟子にしない。「我が子に会えないのだから、親も大変。弟子を預かるには信頼関係が最も大切です」。弟子たちが「お母さん」と呼ぶ妻・和代さんがこまめに手紙を書き、親元へ子供の様子を知らせている。
棋士志望で内弟子になった長男(13)を含め実子が5人。つまり、大淵家は13人の大家族だ。「私は叱るほうが多く、弟子の相談相手は専ら妻」と話す一方、「大勢の子供に囲まれて幸せ。最近は誰が自分の子なのか、わからなくなるほど」と笑う。厳しい師匠であり、弟子たちの良き父親だ。

【「週刊碁」2006年1月16日号】
神奈川県の相模湖駅から車で15分走ったところに大淵盛人九段とその門下生が生活し、日々研鑽している大淵道場がある。(平成10年に引越し)
平成11年に奥田あや初段が入門し、現在大淵門下生は7名。平成16年に奥田あや初段が入段し、平成17年夏に内田修平初段、冬に堀本満成院生、関達也院生が入段を果たし、門下から4人のプロ棋士を輩出する大躍進ぶり。
テレビ、マンガは禁止。入段するまで男子は坊主頭、女子もおしゃれはダメ。日々是勉強!技能の研鑽、精神面の鍛錬。合間に近くで山歩きし、身体を鍛えることも怠らない。 大淵九段:「棋士はたくさんの人の理解、協力があってこその存在。常に謙虚でなくてはならない。」

【「囲碁クラブ」1997年12月号 「碁盤拝見」より】
熱血漢なのだ。熱血漢が昂じたのか32歳で5人の子供がいる。上から女、男、男、女、男の順。小学3年から5ヶ月の赤ちゃんまでピッタリ一間飛びの間隔が開いている。奥さんは高校選手権で優勝したこともある下地和代さん。お互い大枝雄介九段の内弟子同士だった。埼玉県の朝霞市のマンションは2LDK。狭くなったので引越しを考えているそうだ。

1965年柳川市に生まれる。中学校1年生の冬休みに囲碁を始め目を見張るスピードで上達し、中学校3年生の時に第1回少年少女囲碁大会、全国大会に出場する。中学卒業と同時に上京、17歳でプロ入段を果たし棋士としての第一歩を踏み出した。以後、順調に昇段を続け、棋士の最終目的である「九段」に31歳の若さで昇段する。